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SANTE for hair 井本健太郎の美容師日記

SANTE for hair は大阪 吹田市の美容室です。
SANTEの理念は「健康第一」。
髪の毛に負担をかけないメニューに特化しています。

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神との対話
人間関係について、これは勉強になりました(`・д・´)




人生に特別な相手が現れて自分が満たされる、というのは、非常にロマンティックだ。

だが、人間関係の目的は満たしてもらうことではなく、

「完全な自分」を分かち合う相手をもつことだ。

 人間関係はいつでも課題だ。常に創造する事、表現する事、自己の高い面、より大きな自分、すばらしい自分を経験する事を求められる。その経験をいちばん直接的に、力強く、純粋に実践できるのが人間関係という場だ。それどころか、人との関係なしには、その実践は不可能だ。
他の人間や場所、出来事との関係を通じてのみ、あなたは(個性ある実体として、他と区別しうる何者かとして)宇宙に存在できる。他がなければ、あなたも無だということを覚えておきなさい。自分以外の他との関係があるから、あなたは存在する。それが相対性の世界というもので、それと対照的なのが絶対性の世界、わたしが存在する世界だ。
このことをはっきり理解し、しっかりと把握すれば、全ての経験を、全ての人間的出会い、とりわけ個人的な人間関係をうれしいと思うようになる。
自分を創りあげることは、意識的な構想に基づくすばらしい創造にもなるし、「偶然まかせ」にしておくこともできる。起こった出来事に左右されるだけの人間である事もできるし、出来事に対してどうありたいか、何をするかという決断を通じて、どんな人間になるかを選ぶ事もできる。意識的な自己の創造は後者の方だ。後のほうの経験によって、自己が実現される。
全ての経験をうれしいもの、特別なもの、自分を創り上げる経験として捉えなさい。そして今どうありたいかを選びなさい。(P164P165)

 愛情関係が失敗する時(真の意味では失敗した関係というものはない。ただ、人間的に見て望んだ通りにならないという意味での失敗があるだけだ)、その原因はそもそも間違った理由で関係を結んだ事にある。
(もちろん「間違った」というのも相対的な言葉で「正しい」に対比されるだけだ。正しいというのがどんな意味かはともかくとして! だから「人間関係が失敗し、変化してしまうのは、最初にその関係を結んだ理由では関係を続けられなくなった時である」といった方が正確だろう)
 ほとんどの人は、相手との関係で何を与えられるだろうかと考えるのではなく、何が得られるだろうかと考えて、関係を結ぶ。人間関係の目的は、自分自身のどの部分を「明らかに」したいかを決定する事であって、相手のどの部分を把握し、つかまえておきたいかを決める事ではない。
人間関係の目的はひとつしかない---それは、人生のすべてに言える事だ。目的は、本当の自分が何者であるかを決め、本当の自分になる事、それである。(P165P166)

「あなたを失望させたくない」ばかりに、相手はほんとうの自分らしくない努力をし、自分らしくない行動をしようとして、やがてはそれに耐えられなくなる。相手は、あなたの期待を満たせなくなる。割り当てられた役割を演じられなくなる。そこで、恨みが生じる、怒りが湧き起こる。
相手はやがて、自分自身を救うために(そして関係を救うために)、真の自分をとり戻そうとし、ほんとうの自分らしくふるまうようになる。そうなると、あなたは相手が「すっかり変わってしまった」と言う。
人生に特別な相手が現れて自分が満たされたと感じる、というのは非常にロマンティックだ。だが、人間関係のほんとうの目的は、相手に満たしてもらうことではなく、「完全な自分」---つまりほんとうの自分という存在をまるごと---分かち合う相手をもつことだ。(P166)

問題は、非常に根本的でシンプルで、しかも悲劇的な誤解にある。あなたの壮大な夢、気高い思い、そしてやさしい希望は、愛する自分ではなく愛する他者に関わるものだという誤解だ。人間関係の試練は、相手があなたの思いにどこまで応えてくれるか、自分が相手の思いにどこまで応えられるかにある、と思い込む誤解だ。しかし、真の試練とは、あなたがあなた自身への思いにどこまで応えられるか、ということなのだ。(P167)

人間関係では、それぞれが自分のことを考えるべきだ。<中略>
人間関係では、それぞれが他者について心をわずらわせるのではなく、ただただ自分について心をくだくべきだ。
これは奇妙な教えに聞こえるかもしれない。あなたがたは、最も気高い人間関係では相手のことだけを考えるものだと聞かされてきたからだ。ところが、ほんとうはあなたがたが相手にばかり気持ちを向けること---相手にとらわれること---が、失敗の原因である。(P167P168)

<マスター>は、相手が何者で、何をし、何をもち、何を言い、何を欲し、何を要求しているかはどうでもいいことを知っている。相手が何を考え、期待し、計画しているかはどうでもいい。大事なのは、その関係の中であなたが何者であるかだけである。
最も愛情深い人間とは、最も自己中心的な人間だ。(P168)

 自分を愛していなければ、相手を愛する事はできない。
多くの人たちは、相手への愛情を通じて自分への愛情を求めるという過ちを犯している。もちろん、自分がそうしているとは、気づいていない。意識的ないとなみではない。精神の中で精神の深いところで起こっているだけだ。潜在意識で起こっていることだ。人は考える---「正しく相手を愛することさえできれば、相手はわたしを愛してくれるだろう。そうしたら、わたしは愛される人間になり、自分を愛することができる」と。
これを裏返せば、愛してくれる他者がいないから自分を憎んでいる人が多い、ということだ。これは病---ほんとうの「愛の病気だ」。この病にかかると、実は愛されているのに、それはどうでもよくなる。どんなに大勢の人が愛を告白してくれても、満たされない。
第一に、彼らは相手を信じない。自分を操ろうとしているのだ、何かを狙っているのだと考える(ほんとうに自分を愛してくれるはずがあるだろうか?そんなはずはない。きっと間違いを犯しているのだ。何か期待しているのだろう!いったい何が欲しいのだ?そう考える)。(P168P169)

聖なる旅の途上にある聖なる魂としての相手を見失うと、すべての人間関係の奥にある目的も理由も見えなくなってしまう。
あなたがたは発展進化し、自分自身になっていく存在である。そして、あなたがたはあらゆるものとの関係を活用して、何者になるかを決定する。
その仕事のためにあなたは生まれてきた。それが、自分自身を創造する喜びである。それが、意識的に自分自身になっていくということである。(P170)

あなたの最初の関係は自分自身との関係である。まず自分自身を大切にし、慈しみ、愛する事を学ばなければならない。
他者の価値を見抜くためには、まず自分に価値を見出さなければならない。他者を祝福すべき者として見るためには、まず自分を祝福すべき者として見なければならない。(P171)

あなた方の救済は相手の行動の中にではなく、あなた方の反応の中にある。(P172)

 わたしの誤解かもしれませんが、でも、相手に何をされたかを考えてはならないというように聞こえます。相手は何をしてもいい、こちらの心が安定してさえいれば、自分を中心に据えてさえいれば、そうやってちゃんとしていれば、どんなことがあっても平気だというように聞こえます。
けれど、相手が何をしても平気というわけにはいきません。相手の行動に傷つくこともあります。人減関係で傷つくと、わたしはどうしていいかわからなくなるんです。「受け流せ、平気でいろ」と言うのは立派ですが、言うは易く、行なうは難しです。わたしは実際、相手の言葉や行動に傷つくんです。

 いつかは傷つかなくなる日が来るだろう。その日、あなたは人間関係の真の意味、人間関係を結ぶ真の理由に気づき、真の人間関係を実現するだろう。
それを忘れているから、今のような反応をするのだ。だが、それはそれでよろしい。それも成長の過程であり、発達進化の一部だから。
人間関係というのは魂の仕事、偉大な理解、偉大な記憶だ。そのことを思い出さない限り---そして、自己創造の手段として人間関係をいかに活用するかを思い出さない限り---あなたはいまのレベルで努力しなければならない。いまの理解レベル、意志のレベル、記憶のレベルで。
そこで、あなたが相手の在り方、言うこと、行動に傷つき、苦痛を感じたときには、どう反応すればいいか。まず、どう感じているかを自分にも相手にも正直に認めなさい。あなた方の多くは正直に認めるのを怖がる。そうすると自分が「悪く見える」のではないかと思うからだ。心の底のどこかで、「そんな感じ方をする」のはばかげていると気付いている。
そんな自分がちっぽけなのかもしれないと。「自分はもっと大きな人間」のはずだ、と。だが、感じるのはどうすることもできない。苦痛を感じないわけにはいかない。
できることはひとつしかない。自分の感情を大事にすることだ。自分の感情を尊重するとは、自分自身を尊重することだ。あなたがたは自分を愛するように隣人を愛さなければならない。だが、自分の感情を尊重できないで、どうして相手の感情を理解したり、尊重したりできるだろう?相手との相互関係のなかで、まず問いかけなければならないのは、自分は何者か、何者になりたいか、ということだ。

いくつかの在り方を試してみなければ、自分が何者か思い出さず、何者になりたいかわからないことが多い。だからこそ、正直な感情を大事にすることが大切なのだ。
最初の感情が否定的な感情でも、何度でも必要なだけその感情を味わえば、いつかはそこから踏み出せる。怒りや逆上や嫌悪、憤怒を味わい、「仕返し」したいと思っている者も、いつかは「そんな自分にはなりたくない」と考えて否定的な感情を捨てることができるだろう。
<マスター>とは、そのような経験をさんざん積んだあげくに、最終的な選択が前もって判るようになった人達だ。<中略><マスター>は本当の自分を実現する事に人生を捧げているから、自分に似合わない感情を味わう事はない。
<マスター>は他の者なら災厄だと思う目にあっても動じない、災厄を祝福する、災難の種から(そして全ての経験から)自己の成長が生まれる事を知っている。
<マスター>の人生の第二の目的は、常に成長する事だ。完全に自分を実現したら、残っているのは、さらに成長する事だけだから。
この段階で、魂の仕事から神の仕事へと移る。(P172~P174)

 <マスター>とは、つねに同じ回答を出す人たちだ。その回答とは最も気高い選択である。<中略>
すると「気高い選択」とは何かという疑問が起こるだろう。<中略>
この疑問に取り組む人は、すでに<マスター>への道を歩んでいる。
大半の人達は、まだほかの疑問に取り組んでいる。気高い選択とは何か、ではなく、最も有利な選択とは何か、あるいは、どうすれば失うものを最小限に出来るかという疑問だ。
被害を抑えるとか、できるだけ得をするという観点から人生を生きていると、人生の真の利益を失ってしまう。機会が失われる。チャンスを見のがす。そんな人生は、不安に駆り立てられて生きる人生だし、そんな人生を送るあなたは、ほんとうのあなたではない。
なぜなら、あなたは不安ではなく愛だから。(P174P175)

第一の疑問ではなく、第二の疑問に答え続けている限り、愛を経験的に知る事はないだろう。得たり失ったりするものがあると考える人間だけが、第二の疑問をいだくのだから。それとは違った見方で人生を見る人間、自分をもっと気高い存在と見る人、勝ち負けでなく愛するか愛し損なうかだけが試されていると理解している人、その人だけが第一の疑問に取り組む。
第二の疑問をいだく者は「私の身体、それが私だ」と言う。第一の疑問をいだく者は「私の魂、それが私だ」と言う。(P175)

すべての人間関係の決定的な接点において、問題はひとつしかない。
「今、愛なら何をするだろうか?」
ほかのどんな疑問も無縁であり、無意味であり、あなたの魂にとって重要ではない。(P175)

あなた方は何世紀にもわたって、他者に最高の善をもたらす在り方や行為をする事を選択すること。それが愛に支えられた行動だと教えられてきた。
だが、最も気高い選択とは、あなた自身に最高の善をもたらすものである。
奥深い真実というものはすべてそうだが、この言葉もたちまち誤解を生みかねない。この言葉の謎は、自分に与えられた最高の「善」とは何かを考えるとき、少しは解けてくるだろう。そして至高の選択が行われるとき、謎は解け、輪は完結し、あなたにとっての最高の善が他者にとっても最高の善になる。(P175P176)

自分のために最善の事をしようとして、神意にかなわない行動になるなら、問題は自分を第一にした事ではなく、何が最善かを誤解した事にある。(P177)

実際問題としては、虐待されている状況で自分にとって最善な事は何かと考えれば、少なくともその虐待をやめさせなければならない。虐待をやめさせる事はあなたにとっても、虐待する側にとっても良い事である。虐待を続けさせておけば、虐待する側までが虐待されることになるからだ。
それは虐待者を癒すのではなく、傷つけることである。虐待は受け入れられるものだと思っていたら、虐待者は何も学べない。ところが、虐待はもう受け入れられないと分かれは、虐待者は何かを発見できるだろう。
愛情ある態度をとるという事は、必ずしも相手の好きにさせるという事ではない。(P178)

時には、人間は真の人間らしさを表す偉大な宣言として、戦争を嫌悪する人間として、戦争へ行かなければならない。
ときには、本当の自分であるために、本当の自分を放棄しなければならない。<中略>
だからといって、人間関係で傷ついたら「仕返しせよ」というのではない。ただ、傷つけられても放っておく事が、あなた自身にとっても他者にとっても愛ある行為とは限らない、というのである。(P178P180)

ここでもう一度、難解な真理に戻る。悪に対する愛ある行為とは何か真剣に考えれば、「悪」という言葉と、これにまつわる価値判断を無視できなくなるからだ。実は、悪というものはなく、ただ客観的な現象と経験があるだけだ。しかし、人生の目的からして、あなたは増えるいっぽうの現象の中から、悪という現象を選び出さなければならなくなる。そうしないとあなたは自分自身も他の事も善と呼ぶ事ができず、自分自身を知って創造する事ができないからである。
あなたは何を悪と呼び、何を善と呼ぶかで自分自身を定義する。
最大の悪は、どんなものも悪ではないと宣言することである。
この人生という相対性の世界では全てが他との関係でのみ存在しうる。人間関係の目的と機能も全く同じである。あなた自身を発見し、あなた自身を定義し---あなたが選択するならば---本当の自分自身を常に創造し直すための経験の場を提供する事、それが人間関係の目的であり、機能である。(P179P179)

神に似た存在である事を選ぶというのは、殉教者になることを選択する事ではない。もちろん、犠牲者になる事を選択する事でもない。
悟り---その時には傷つき、被害を受け、喪失するという可能性がなくなる---への途上においては、傷つき、被害を受け、喪失する事をみな経験の一部として認め、それとの関係で本当の自分とは何かを決定すればいい。(P180)

あなたは人が考えたり、言ったり、したりした事に傷つくだろう。いつか、傷つかない日が来るまでは、しかたがない。その日に最も早く到達する方法は、完全に正直になる事だ。自分がどう感じるかをはっきりさせ、認め、口にすることである。あなたの真実を語りなさい。優しく、しかし包み隠さず、真実を語りなさい。あなたが真実だと感ずるように生きなさい。穏やかに、しかし一貫してあなたが真実だと感ずるように生きなさい。経験によって新たな事が分かったなら、素直にすばやく変更しなさい。
まともな精神を持った者なら誰でも、まして神なら、人間関係で傷ついても「受け流せ、平気でいろ」などとは言わない。今傷ついているなら、平気でいようとしても遅い。あなたの仕事は、傷ついたという事が何を意味するかを考え、それを示す事だ。そうする事によって、あなたはこう在りたいと思う自分を選び、その自分になるのだから。(P180)

人間関係の中ではどんな義務が生じるのですか?どんな指針を守ればいいのですか?

あなたには何の義務もない。人間関係においても人生においても、義務はない。(P181)

 前にも「ルールなんかない」という宗教のことは聞いたことがあります。<中略>それで、どうしてうまくいくのかわかりません。

 うまくいかないはずがない。あなたが自分自身を創造するという仕事に励むのなら。
いっぽう、他人の期待に応えるのが努めだと思うのなら、ルールも指針もないためにむずかしくなるかもしれない。(P182)

他との関係で、あなたには何の義務もない。ただ、機会があるだけだ。(P185)

目的意識をもって、人間関係を結んだのではなく、たぶん「恋に落ちた」から人間関係を結んだのだろう。

そのとおりです。

 あなたは自分がなぜ「恋に落ちたのか」、立ち止まって考えたことがないのではないか。自分が何に反応したのか、考えたのか?どんな必要性を満たそうとしたのか、考えたか?
たいていの場合、愛は、充足したいという欲求への反応として起こる。
誰でもいろいろな欲求を持っている。これが必要、あれが必要だと感じている。あなたがたはお互いに、充足したいという欲求を満たすチャンスを見出した。そこで、あなたがたは---暗黙のうちに---取引をする。あなたが持っているものをくれるなら、わたしも持っているものをあげましょう、という取引だ。
これは商行為だ。だが、あなたがたはそんな真実は口にしない。「あなたと大きな取引をします」とは言わず、「とても愛しています」と言う。それが失望の始まりだ。(P187)

難題や困難を避けようとしてはいけない。難題や困難を歓迎しなさい。心から歓迎しなさい。神からの偉大な贈り物だと思いなさい。他との関係の中で---そして人生で---するべきことができる栄えある機会だと思うことだ。
困難にぶつかったとき、パートナーを敵だの対立相手だのと考えないように努力しなさい。
どんな人も、どんなことも敵だと思わないこと、それどころか問題だとも思わないことだ。すべての問題をチャンスだと捉える力を養いなさい。(P190)

 魂の仕事とは、あなた自身を目覚めさせる事だ。神の仕事とは全ての人を目覚めさせる事だ。(P192)

 相手が本当の自分を見て、本当の自分とは何かを思い出すように仕向ければ、その魂の仕事が出来るんですね。

 それには二つの方法がある。人に本当の自分を思い出させるか(これは非常に難しい)ひとはあなたを信じようとしないだろうから)。自分で本当の自分を思い出すか(こちらのほうがずっとやさしい。人に信じさせる必要はなく、自分が信じればいいのだから)。いつも本当の自分を思い出してみせていれば、いつかは相手も本当の自分を思い出す。人はあなたの中に自分自身を見るから。(P192)


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こんにちは。SANTEの井本健太郎です。 本当に頭皮と髪の毛に良いものを探求しています。 SANTE for hair 大阪府吹田市山田市場8-1-2F 06-7165-3878

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Author:井本健太郎
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